
中国の歴史を振り返っていると、中国の初代国家主席である毛沢東の大躍進政策(だいやくしんせいさく)に悪い意味で衝撃を受けました。
大躍進政策についてはこちら↓(別タブで開きます)
/great-leap-forward-chinaなんと餓死者4,000万人以上を出した大躍進政策を指導し、その失敗から一時的に身を引いた毛沢東でしたが、7年後に奇跡のカムバックを果たし「文化大革命」(ぶんかだいかくめい)によって権力を握りました。

中国当局の発表では死者およそ40万人と言われていますが、実際には2,000万人が犠牲になったという学者もいます。
今回はその「文化大革命」がいかにヒドかったのかを説明しようと思います。
毛沢東の台頭
ところで皆さん、毛沢東って知ってますか?
読み方は「もうたくとう」なので「けさわひがし」と思った方は残念です。

↑このおでこの広さ、見たことありますよね?
彼は中国の初代国家主席です。
けさわひが、いや、毛沢東率いる"中国共産党軍"は日中戦争で、「敵の敵は味方」理論でライバルである蒋介石率いる"国民党軍"と手を組んで日本軍を追い払いました。
まあ中国国内で勢力争いをしていたところに、日本軍という共通の敵が現れたので「とりあえず日本軍追っ払ってから喧嘩再開すっか?ww」と手を組んだ感じです。
戦後、"中国共産党軍"は国民党軍も中国本土から台湾に追い払って、1949年に中華人民共和国の成立を宣言しました↓

中華人民共和国建国前の毛沢東と蒋介石の戦いについてはこちらを参考にしてください↓

実は建国当初は民主的な国家運営をしていた毛沢東でしたが、1950年に起きた朝鮮戦争を機に、中国を共産党の一党独裁国家体制に方針転換しました。
やっぱさ、戦争の際に臨機応変に国を動かすためには一党独裁がベストアンサーですわ
その後、様々な政策(主に㋐大躍進政策と㋑文化大革命)によって自国民6,000万人以上を・・・(察し)と言われています。
中国は社会主義国家

まず大前提として中国は社会主義国家です。
社会主義とは何かを詳しく知りたい方はこちらの記事で↓(別タブで開きます)
/socialism-communism-capitalism社会主義を簡単に説明すると、
㋐国民全員平等を目指す主義
→「社長+社員」という上下関係はぶっ潰す
㋑国民は自由な経済活動ができない
→国のトップが全て計画した通りに物を生産して売る
→利益は全て国のもので、全国民に平等に分配される
→全員が平等にハッピー
という理想を実現しようとする考えで、国家の利益/資源が全て国のトップに任されるという「独裁者が生まれやすい国家運営」と言えます。
つまり当時の国家主席「毛沢東」が国のトップであり、毛沢東が立てた計画に従って中国経済は運営されていました。
毛沢東が無能なら中国は衰退していきますし、毛沢東が有能なら中国は発展していきます。
毛沢東の『文化大革命』

文化大革命
↑とても素晴らしい雰囲気を漂わせる言葉ですが、実は毛沢東が主導し数千万人を抹殺した恐ろしい革命なのです。
1959年(建国から10年後)、毛沢東は「大躍進政策」失敗の責任を取って(嫌々ですが)一度「国家主席」の座を劉少奇(りゅうしょうき)という人物に譲りました。

そして劉少奇に続いて鄧小平(とうしょうへい)などの実務派(=実権派)が権力を握り、毛沢東が大躍進政策でグッチャグチャにした中国を再び復活させようと少し資本主義的な要素も取り入れた動きを取っていきました。

↑鄧小平は非常に柔軟な考えの持ち主で、国民が幸せになるのなら別に共産主義じゃなくても良いと考えていたのです。
彼の有名な言葉がこちらです↓
黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕る猫がいい猫だ‼
また鄧小平は「国民全員を一律で裕福にするのは不可能。別に先に富めるものから富んだらいい」という先富論(せんぷろん)を掲げており、一律全員ハッピ~♡という社会主義とは真逆のことを考えていたのです。
紅衛兵出現
劉少奇・鄧小平ら実権派が順調に国家運営を行っていた1966年、中国の清華大学附属中学(超エリート校)の学生たちが大字報(=壁新聞)で、
資本主義に走っている今の政権はダメだ。
共産主義を復活させるべきだ‼
と初めて劉少奇&鄧小平らを非難しました。

これを見た「けさわひがし」が、
お、君たち言うね~!
いいよいいよ!!!
君たちこそ憂国の士だ。
頼もしい♡
と完全バックアップしたことで、たちまち全国の高校&大学に「中国を共産主義に戻せー」という運動が広まりました。

大躍進政策でどれほど犠牲が出たかも知らない一般国民にとって、毛沢東は建国の父として絶大な人気を得ていたのです。
あれぇ?
ビビりながら現政権の悪口言ったけどさ、あの毛沢東が味方してくれんならもっと過激なことやっちゃうよ?
と、これから学生たちが暴れ始めるのです。

初めは「造反有理(※)」として共産化運動を認めていた実権派も「あかん、このままでは大規模なデモになってしまう」と心配し、デモ弾圧を始めました。
造反有理
「何かの反対運動&反逆が起こったならば、必ずそちらにも道理がある」ということ。
その時にできた、実権派の弾圧に抵抗し共産化運動を推進する学生の組織が紅衛兵(こうえいへい)です。
※紅衛兵とは、紅(共産主義の色)を衛(まも)る兵という意味
もちろん共産化運動を推進する紅衛兵が崇拝するのは、中国共産党のトップ「毛沢東」でした。
建国の父”毛沢東”さんの命令なら、あの劉少奇とかマジで一瞬でどつきまっせ?
瞬殺っすよ、まじで!!?
という感じです(笑)
紅衛兵の様子↓
壁新聞を張り出した6月からわずか2ヵ月後、全国の紅衛兵が天安門広場に集い、毛沢東と接見しました。

その数100万人。
これから毛沢東のお墨付きを得た学生集団の紅衛兵が暴れまくります。
毛沢東の息のかかった北京市公安局(=警察のトップ)も、
「紅衛兵が誰かを殴ったり殺したりするのを見かけても、国家のためなので止めてはいけない」
という通達を警察官に出しました。
今の実権派は資本主義を掲げる国民の敵だ!
わたしと一緒に新しい中国を作り直そう!
こうして恐ろしい文化大革命が幕を開けました。



