
「教会」と聞くと、最初からあのステンドグラスが映える金ピカの建物だったと思ってないだろうか。
実は、それは大きな勘違いである。
キリスト教が誕生した当初、教会建築など存在しなかった。
では、彼らはどこで祈っていたのか。
そして、なぜ壮大な教会が建てられるようになったのか。
本記事では、ローマ帝国の終焉とともに誕生した「初期キリスト教建築」を通して、西洋建築が神殿から教会へと大きく姿を変えた歴史をわかりやすく解説する。
イエスの生涯と教会建築の誕生

初期キリスト教建築を理解するには、まず「なぜ教会が造られるようになったのか」を知る必要がある。
そのため、最初にイエス・キリストの生涯を超簡単に振り返っておこう。
イエスの生涯

参考書『西洋建築様式史』にはイエスの生涯が詳しく書かれている。
……が、それを全部書いてしまうと建築の記事ではなく聖書の解説になってしまうので、思い切って要約する。
イエス・キリストは、およそ2,000年前に現在のイスラエル・ナザレで生まれた。
その後、人々に教えを説き、多くの弟子を持つようになったが、弟子の裏切りによって捕らえられ、十字架に磔(はりつけ)にされて処刑された。
しかし、3日後によみがえったとされ、この出来事がキリスト教最大の奇跡として今日まで語り継がれている。
……
ふぅ。
人類史に多大な影響を与えた人物の一生を、これだけにまとめるのはなかなか勇気がいる。
もしイエスの生涯について詳しく知りたい方は、こちらの記事を参考にしてほしい。
教会建築の誕生

イエスの死後、キリスト教徒たちは長い間迫害を受け続けてきた。
そしてイエス誕生から約300年後、ローマ皇帝コンスタンティヌス帝の時代になるとキリスト教は公認され、やがてローマ帝国の国教となった。
それまで地下に潜っていた隠れキリシタン的な信者たちはようやく堂々と集会を開けるようになったことで、キリスト教の教義と典礼に最も適した新しい建築様式をつくり出すことが喫緊の課題となった。

ここで想像して欲しい。当時はまだ「教会建築」というもの自体が存在しなかったのである。
つまり、
すべてがゼロからのスタートだった。
そもそも教会という施設が存在しなかったこの時代にいきなり、

こんなおしゃれで素晴らしい教会を設計できるだろうか、いや絶対に無理だろう。
ということでこの時代に生きるキリスト教徒たちは「教会とはどんな建物か」が全くわからずもがき苦しんでいたのだが、突如ある解決策が思い浮かんだ。
しかし矢木に電流走る――!(←麻雀漫画アカギの大人気シーン)
既にローマ帝国の各都市に建てられている『バシリカ』を使ったらいいんじゃね?は、おれ天才かよ
と。
つまり突如として教会建築が誕生したわけではなく、彼らはひとまず古代ローマの各都市に建てられていたバシリカ(後述する)という集会施設を教会堂の代用としたのである、とりあえず。
バシリカとは
さて、古代ローマが残したバシリカがキリスト教会に最も適した構造だったということだが、そもそもバシリカとは何だったのだろうか?
バシリカについて詳しいことはまだ解明されていないようだが、裁判所とか商業取引所などの多目的なホールで、大勢の人たちを細長い部屋に集めて議長が演壇の上で演説ができるような形式を採っていたものらしい。
イメージ的にはこんな感じである。

バシリカについて解説している記事(Basilicas)によると、「建築様式としてのバシリカ」と「カトリックが認定するバシリカ」は別物とのこと。
古代ローマのバシリカの役割は、
であり、フォルム(広場)の屋内版という位置付け。

下に比較表を貼っているので参考にして欲しい。
| 項目 | 古代ローマ | 初期キリスト教 |
|---|---|---|
| 用途 | 裁判・商業 | 礼拝 |
| 主役 | 裁判官 | 祭壇 |
| 出入口 | 長辺 | 短辺 |
| 平面 | 長方形 | ラテン十字形 |
| アプス | 裁判席 | 聖域 |
| トランセプト | なし | あり |
| 象徴 | 権力 | 信仰 |
まだ説明していない用語も出ているが、後で説明するので安心して欲しい。
つまり先ほどの答えになるが、このバシリカの構成がキリスト教の聖書朗読とミサ典礼を行うのに都合が良かったのである。
詳しいことは後々述べていくが、早い話
「入り口から奥まで信者を長く歩かせる方が厳かな感じがするからいいんじゃね?」
「テロとか怖いから奥に長い方が防犯上いいんじゃね?」
という理由で長方形平面のバシリカを代用したのである。
このようにして、初めての教会堂建築はバシリカの平面形式(プラン)と構造を基本として形式化されたので、バシリカ式教会堂と呼ばれるようになったのである。
バシリカ式教会堂のプランと構造

ここまで読んで、
「バシリカを教会として使ったのは分かった。」
「でも、実際どんな間取りだったの?」
と思った人も多いだろう。
そこで、この章ではバシリカ式教会堂の基本的な構成を見ていく。
この平面を知っておくと、その後に登場するロマネスク建築やゴシック建築も驚くほど理解しやすくなる。
基本的なプラン
まずはバシリカについての復習だが、バシリカとは初期キリスト教建築家たちが教会として代用した古代ローマの集会所のこと。
これから出てくる「プラン」という単語は「計画」ではなく「平面形式」を表す用語なので、ここで覚えておこう!
さて、「バシリカとは何なのか」が何となくわかったところで、バシリカ式教会堂の一般的形式についてみていく。
まず、基本的なプラン(平面形式)はこんな感じだ。

うむ、意味不明だろう。
でも大丈夫、しっかり説明する。
以下の説明は、こちらの画像を見ながら読み進めて欲しい。

バシリカ式教会堂の一般的形式は、まず入り口を入ると周囲に➀列柱廊を巡らせたアトリウムと呼ばれる②前庭があり、その中央には③泉亭(せんてい)があり、教会堂に入る前に体を清めるため、あるいは洗礼を授ける洗礼堂の役目を果たす場所だったと考えられている。
③の泉亭は「聖なる場所に入る前にはちゃんと体を清めてねー」ってことで、神社で手を清めるのと似ている。
では次!

アトリウムを渡っていよいよ教会堂に入ると、まずナルテクスという④玄関廊があり、ここは洗礼をまだ受けていない洗礼志願者のための空間だった。
キリスト教に帰依することを公に表明するまではナルテクスから先の⑤教会堂内部に入ることは禁じられていた。

これは、キリスト教が公認されてまだ間もない時期だったので、異教徒による迫害を警戒していたからだと考えられている。
教会堂内部の構造

ではここから、信者にのみ入ることを許された教会堂内部の構造を説明する。
重要単語が頻出するので、気合を入れてくれ。
身廊と側廊

さて、教会堂は縦長の長方形プランを採用し、中央の一番広い廊下である身廊(しんろう)と、その左右の「天井が一段低く、幅も狭い廊下」である側廊(そくろう)で構成されている。

※この身廊はとても重要なワードなので脳に刻んでくれ。
身廊と側廊を理解するもう一つのヒントがこちら。

身廊も側廊も天井は木造で、身廊と側廊との間は円柱の列柱が並んでいる。
ロマネスクやゴシック建築で頻出する超重要ワードなので「身廊」と「側廊」だけは理解して欲しい。
クリヤストリー
身廊と側廊の屋根の段差を利用して開口部を開け採光しているのもバシリカ式教会堂の重要な特徴である。

上の画像に「身廊の屋根」「側廊の屋根」「段差を利用した開口部」を書き加えると以下のようになる。

この身廊上部の高窓の列のことを「クリヤストリー(=クリア・ストーリー)」と呼ぶ。
教会の内側から見たらこんな感じだ。

ここまで、なんとなく理解できただろうか?
では続いてアプスの説明に入る。
アプス

身廊には信徒の座席が並べられ、その東側の突端に⑥アプスと呼ばれる半円形の張り出しがあり、そこにはミサ典礼を司る司祭の座る席である⑦カテドラ(司教座)があり、アプスは教会堂の最も重要な部分である。
画像右側に⑥アプスがあるが、これが教会における最重要ポイントと言える。

教会堂に入場した全ての信徒たちの視線がアプスに集中するように考えられ、アプス上部にはイエス・キリストの復活&昇天や聖霊降臨などをテーマとして描かれた半ドームの壁画があるのが一般的である。

司教はイエスの代理であり、その周りに座る司祭たちは使途を意味しているので、カテドラが置かれているアプスは教会堂の最も重要な部分なのである。
袖廊(トランセプト)

また、アプスと身廊の接続部分には、身廊と直交する廊下が入り、左右に張り出して洋服の袖(そで)のように伸びていることから⑧袖廊(そでろう=トランセプト)と呼ばれている。
(ロマネスク建築編で紹介するが)後にこの袖廊(そでろう)はもっと伸びて教会の左右に張り出し、なんと上から見たら教会の平面形式が十字架形になっていくのである。

とは言え、教会が完全に十字架形になるのはロマネスク建築以降なので、現段階では「へー」とだけ思ってもらえば大丈夫だ。

一応今回のまとめがこちら。

クリヤストリー(高窓)なども今後頻出する単語だが、とりあえず上記3つの"○廊"とアプスについては絶対に覚えておいてくれ。
実在する初期キリスト教建築

ここまで、初期キリスト教建築が誕生した背景や、バシリカ式教会堂の基本構成について見てきた。
では実際に、その時代の建築はどのような姿をしていたのだろうか。
ここでは、現在でも見ることができる代表的な初期キリスト教建築を紹介する。
約1,700年前に建てられた建物でありながら、その基本的な構成は現代の教会にも受け継がれている。
「教会建築の原点」を感じながら見てほしい。
旧サン・ピエトロ教会堂
(現存はしないが)実例としてまずはイエスの一番弟子聖ペトロの殉教を記念して326年頃に建設された「旧サン・ピエトロ教会堂」を紹介する。

この教会堂は、身廊の長さ約90mの巨大な教会堂で、側廊が左右に2列設けられ、身廊を含んで5廊式(※)プランを採り、現在のサン・ピエトロ大聖堂にひけをとらないほどの規模を誇り、バシリカ式教会堂の典型例と言える。

5廊式とは、単純に「身廊1つに側廊4つ」の構造のこと。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会堂
ローマにある「サンタ・マリア・マッジョーレ教会堂」は、度々の改造を受けながらも格天井(ごうてんじょう)の身廊をはじめ初期キリスト教時代の室内をよく残している。
格天井(ごうてんじょう)とは、木を格子状に組んで仕上げた天井で、ローマ建築編の解説記事「パンテオン」の開設の際にも出てきている。
いわゆるこれ。

この超カッコいい凹凸状の天井を格天井と呼ぶ。
初期キリスト教建築時代に既に格天井(木造)なんてあったのか。

というかめちゃくちゃ美しい天井だ。
まぢリスペクト。

一度自分の目で見てみたいものだ。
記事執筆後、わたしは妻子とともにローマを訪れたのだが、この教会に寄るのを完全に忘れていた!!!あの時はなぜか、ローマ発祥のカルボナーラパスタを食べることしか考えていなかった。残念。
ちなみに先ほどの復習も兼ねてちょっと追記するが、

コイツら全て覚えているだろうか?
わからなかったら今後のお話にもついていけないと思うので、もう一度初期キリスト教建築の初めから読み直して欲しい。
サン・タポリナーレ・イン・クラッセ
一方、モザイクの町としても有名なラヴェンナにも東ゴートの王テオドリックの建てた「サン・タポリナーレ・イン・クラッセ」が現存している。

こちらも同様に、身廊上部のクリヤストリーから採光を確保し、上を見上げれば格天井が張り巡らされている。
アプスには半ドームがあり、そこにはキリストの復活や昇天する絵などが描かれている。
サン・タポリナーレ・ヌオヴォ
イエス・キリストの生涯、テオドリク王の宮殿などのガラス・モザイクで美しい彩りをみせている「サン・タポリナーレ・ヌオヴォ」も同様だ。

こちらももう説明する必要もないだろう。
格天井、クリヤストリー、アーケード、アプスなど、とても美しい教会堂内部である。
集中式聖堂の意味と特徴

ここまで紹介してきたバシリカ式教会堂は、細長い長方形の平面を持つ教会だった。
しかし、初期キリスト教時代には、もう一つ重要な教会建築が誕生している。
それが集中式聖堂である。
名前だけ聞くと難しそうだが、意味は意外と単純だ。
集中式聖堂とは
集中式聖堂の説明の前に、バシリカ式教会堂については理解できているだろうか?
バシリカについての復習だが、バシリカとは初期キリスト教建築家たちが教会として代用した古代ローマの直方体の集会所のこと、だったよね?

バシリカ式教会堂とは早い話、長方形平面の教会のことである。
初期キリスト教時代には、バシリカ式教会堂の他に円形、八角形、六角形、正方形などの集中式プランの建物が建設された。
集中式プランとは、以下のような形をした建物全般を指す。

例えばイスラム教の聖地「岩のドーム」とか、イスラム教建築の「ハギア・ソフィア」がそれにあたる。


これらの建築は、中心に祭壇を設ける形式を採る場合が多く、一般のミサ典礼を行うにはあまり適してはいないと言える。
集中式聖堂は信者の配置効率が悪い。

なので教会の形式としては集中式よりバシリカ式の方が適していると言える。

集中式の意味

集中式が教会の形式に適していないのなら、なぜ集中式というプランが生まれたのだろうか?
洋の東西を問わず、こうした集中式プランの建物は死をイメージしたものが多いと言われている。
実は日本でもいくつも集中式プランの建築例が見られる。
- 仏教建築における五重塔や三重塔:本来お釈迦様の骨を奉ったお墓
- 法隆寺における八角形プランの夢殿:聖徳太子の墓として建設された
初期キリスト教の集中式建築も、キリスト教弾圧時代に神を信じ、信仰を守るために死んでいった殉教者たちを記念して建設されたマルティリウム(殉教聖人記念堂)がほとんどだった。
それはイエス・キリストがゴルゴダの丘で処刑され墓に入れられた場所にコンスタンティヌス大帝が建てたといわれる聖墳墓教会(せいふんぼきょうかい=336年献堂)が、イエスの墓を覆うようにして円形プランで建てられたのに倣ったもので、次々に集中式プランのマルティリウムが建設されていったのである。

ちなみに聖墳墓協会のプランがこちら。

初期キリスト教時代における集中式プランの墓廟や洗礼堂として知られているものに、ローマの「サンタ・コスタンツァ」と「ラテラノ洗礼堂」がある。
サンタ・コスタンツァ

サンタ・コスタンツァは、コンスタンティヌス帝の娘コンスタンティナの墓廟で、円形プランの中心部分にドームが載り、その周囲の一段低い側廊屋根との段差を利用してクリヤストリーの高窓層を開けて、内陣部に直接光を採り入れている。

ラテラノ洗礼堂

ラテラノ洗礼堂は、中心に洗礼池を設け、八角形プランを採用している。

このように、数は多くないが集中式プランの礼拝堂も残っている。
おわりに
ということで、初期キリスト教建築についての解説は以上である。
「教会って、最初から教会として建てられていたわけじゃないのか。」
そう思っていただけたなら、この記事の目的は達成である。
歴史的背景を知るだけで、ヨーロッパの教会は単なる「古い建物」ではなく、その時代の人々の試行錯誤や信仰の歴史が刻まれた建築に見えてくるはずだ。
ここから西ローマ帝国では、ゲルマン民族の文化を取り込みながらロマネスク建築、そしてゴシック建築へと発展していく。
一方、東ローマ帝国では、まったく異なる進化を遂げた建築様式が誕生する。
それがビザンティン建築である。
巨大なドームと幻想的なモザイクで彩られた、東方キリスト教世界を代表する建築を、次回は一緒に見ていこう。


