鄧小平の改革開放政策(1977年)

毛沢東の死後、文化大革命は終結し虎の威を借る狐として紅衛兵(こうえいへい)たちを指導していた江青(こうせい=毛沢東の最後の夫人)ら、いわゆる「四人組」は逮捕され裁判にかけられ有罪判決を受けました。
この四人組の虎の威を借る狐感がめちゃくちゃ腹立つんですよね~

紅衛兵を指導していた四人組(左上のおばはんが毛沢東の最後の夫人=江青)
その後、鄧小平の政策によって「毛沢東にボロボロにされた中国」は劇的に経済回復をしていきました。
鄧小平の改革開放政策については以下で超簡単にまとめてあります↓

鄧小平が行った「改革開放政策」とは?
RYOです。ここでは1980年代に中国の鄧小平が行った改革開放政策、いわゆる「人民公社」と「経済特区設置」について軽く触れようと思います。(↑鄧小平)人民公社解体毛沢東はソ連の五ヵ年計画をそのまま真似をして、農業の集団化を行い大勢の国民を餓...
つまり鄧小平は、
- 人民公社解体により農業生産高をアップさせ、
- 経済特区設置により中国経済の立て直しを成功させた
のです。
この鄧小平の改革開放政策を共に支えたのが、後に出てくる㋐胡耀邦と㋑趙紫陽でした。
読み方は「㋐こよーほー」と「㋑ちょーしよー」です
先富論(せんぷろん)
鄧小平は、
「豊かになれる条件を持った地域、人々から先に豊かになろう」
という「先富論」を方針として格差を公認しました。つまり、
逆に言えばこの時代は「国や政府に関して何一つ文句が言えなかった」という事ですね
しかし鄧小平はある考えを持っていました↓
てめぇ、民主化運動を容認していたよな?
という理由で1987年、胡耀邦が総書記の座を追われました。
こよーほー、アウトーー!!
そして同年、次に総書記になったのが趙紫陽(ちょーしよー)です。
うーん、君たちのような民主化を叫ぶ者たちの気持ちもわかるけどさ~
ダダーーーン
え?汗
ちょーしよー、アウトーー!!
陰の支配者、鄧小平コワ過ぎ・・・。


