
ゴシック建築が「もっと高く、もっと豪華に」と進化を続けた結果、「少し落ち着こうぜ」という流れから生まれたのがルネサンス建築である。
建築にも流行があり、時には原点回帰がブームになるのだ。
本章では、ルネサンス建築を理解するために押さえておきたい6つのポイントを紹介する。
では早速始めよう。
本記事は、ギリシャ建築・ローマ建築の内容を理解していることを前提に進めていく。
そのため、「オーダー」「エンタブラチュア」「ペディメント」などの用語を見て「?」となった方は、まずギリシャ建築編から読んでいただきたい。
基礎を押さえておくと、ルネサンス建築の面白さが何倍も伝わるはずだ。
ルネサンスの意味と背景

ルネサンスは、一言でいえば「昔って、やっぱりすごかったよね」とヨーロッパ中が気づいた時代である。
ただし、懐古趣味で終わったわけではない。
古代ギリシャ・ローマの知恵や美しさを学び、それを新しい時代に合わせて生まれ変わらせた文化運動だったのである。
その始まりを理解すれば、ルネサンス建築が目指した「美しさ」の理由も見えてくる。
ルネサンスの背景
ルネサンスとは「文芸復興」を意味するフランス語で、もともとは古代文芸の復興を指したが、その本来の目的は「人間の価値の再発見」だった。
人間の?価値の?再発見?とは?
うむ、意味不明だろう。
わたしも初めはそう思った。

ここで言う「人間の価値の再発見」とは、「物や金やルールに縛られて生きるのって、それほんとにあなたがやりたかったことなの?」という人間として生きる価値を再発見しようとしたってことである。
例えば、家族を養うために子どもの顔も見ずに毎日朝から晩まで重労働をこなしている人がふと、
「家族の幸せのために働いているのに、結果として家族の顔すら見れない毎日に。おれの人生って、一体なんなんだ…」
と自分の人生を振り返る、みたいな感じだ。
これも人間の価値の再発見と言えるだろう。
現代の我々には想像すらできないが、中世ヨーロッパの人々は教会の権威に護られた狭い宗教的世界の中に安心を見出していた。
つまり極端なことを言うと「信じる者は救われる」とするキリスト教聖職者たちに洗脳されていた、とも言える。
(これは完全にわたしの個人的な感想だが)
中世ヨーロッパの概念として、「とりあえず教皇様の言うことに従って、とりあえず教会でのミサにも真面目に出席していれば、多少面倒で理不尽なルールはあるけど、とりあえず一生安泰一生安心」みたいな感覚が存在した。
しかし中世末期になると、そういうキリスト教会のピラミッド構造を「束縛」と考え始める人々が現れ始めた。

中世ヨーロッパのカトリック教会は、現代では倫理的にあり得ないほどの謎ルールで市民に圧政を敷いていた。
この時代、たとえば以下のようなことが当たり前のように行われていた。
中世ヨーロッパで、教会が人々の生活をどれほど左右していたかがわかるだろう。
教会支配の一部を聞いただけでも「はぁ?怒」の連続である。汚職とは昔から存在しているのだと改めて痛感した。
実はわたしの妻は欧米人で、中世ヨーロッパの教会の支配体制にも詳しく、話を聞けば聞くほどつくづく腹が立つ。
こういった経緯もあり、彼らは人間が教会の庇護下に入る以前の、つまり人間が自由に感情や思想を表現できていた古代への回帰を強く望んだのである。
古代がそんな時代だったかは不明だが、「少なくとも今よりは自由に暮らせていたはずだ。もう教会の支配はうんざりだ!!!」とルネサンス期の人々は思ったのだろう。
キリスト教の支配下にいるのが当然の中世ヨーロッパで、ある時からこういう人間が出てきたのだ。
キリスト教って結構ピラミッド社会だよねー。
毎日曜日、教会に行かないと「信徒失格」とか言われるし。
こっちも毎日生きていくのに忙しいからキリスト教会が決めたルールを100%守るってのも難しいんだよね~。
キリスト教徒として数々のルールに縛られているのを「だるい」と感じ始めた人、その人たちがルネサンス時代を築いたと言ってもいいだろう。
このような一群の人々が初めて現れたのは、古代ローマの伝統が(1,000年経っても)完全に途絶えることなく存続していたイタリアの、なかでも商人が力をもち自由闊達な雰囲気が溢れていた都市フィレンツェにおいてだった。

つまりルネサンスは、カトリック教会のピラミッド構造への不満から始まったということだ。
ルネサンス建築の課題
さて、では建築の話に入ろう。
この時代、古典建築を模範とするなかで最も重要視されたのがオーダーだった。
いわゆる「柱」と「梁」の建築である。

オーダーは美の根源として神聖視されていた。
「オーダー?ペディメント?コリント式?意味不明過ぎワロタww」
という方。ギリシャ建築編とローマ建築編をすっ飛ばして直でこの記事に辿り着いてしまったな?
ルネサンス建築をしっかりと理解するには、ギリシャ建築編の記事を先に読んでからの方が圧倒的に近道だぞ。
まずはギリシャ・ローマ建築に関する記事を読んでから戻ってきてほしいが、一応簡単に説明だけしておこう。
パルテノン神殿のような柱−梁構造をオーダーと呼び、ギリシャ建築の時代に完成した。後のローマ建築家たちもオーダーを「美の根源」として重宝し、ローマ帝国各地の公共施設にオーダーを採用しまくっていた。
さて、この時代のルネサンス建築の課題は、ローマ建築の造形法を再発見し(←重要‼)、それを都市の新しい実力者たちの邸宅であるパラッツォ(邸館)や郊外のヴィラ(別荘)、または新たに意味づけし直された教会堂などに適用することだった。
要するに大昔の名作(ローマ建築)を現代風(ルネサンス期)にアレンジし、それを当時の金持ちの豪邸や別荘、教会の建築に取り入れようとした、ということである。
つまりルネサンス期の建築家たちは、「約1,000年前のローマ建築をおしゃれな最新建築として復活させたかった」のである。
しかし。
ここで、当然ある疑問が湧く。
なぜルネサンス期の人々はギリシャ建築の造形法を再発見しようとしなかったのか?
(ローマ建築よりもギリシャ建築の方が古いし、そもそもオーダーはギリシャ人が究めたものなのに)
「初代iPhoneの思想に惚れたと言いながら、お手本にしたのはiPhone SEだった」みたいな中途半端さである。
「柱ー梁」はギリシャ建築の象徴であり、ローマ建築はギリシャ建築のオーダーを丸パクリして公共施設の入り口にそのままドカーンと張り付けたりしていただけである。

わたしがルネサンス期の建築家なら、ローマ建築ではなく元祖ギリシャ建築をお手本にしたと思う。
しかしそうはならなかった。それはなぜか。
実はこの時代、ローマ建築以前のギリシャ建築なんて誰も知らなかったのである。
ギリシャ建築の存在が知られていないから疑問すら抱かなかったのだろう。
『古典建築=ローマ建築』と考えられていた時代だった。
ではここからルネサンス建築の解説に入ろうと思う。
先ほど紹介した古典建築の記事(ギリシア建築とローマ建築)の内容を理解している人にとっては、ルネサンス建築はそんなに難しくはないだろう。
ルネサンス建築の時期による分類
ルネサンス建築と一口に言っても、実際には(本書では)大きく以下の4つに分けられている。
- 初期ルネサンス建築
- 中期ルネサンス建築
- 盛期ルネサンス建築
- 後期ルネサンス建築(マニエリスム)
それぞれの概要を簡単に説明していくが、初期・中期・盛期・後期のそれぞれの建築がどのようなものだったのか、先に簡単に説明してみた。
初期ルネサンス建築
→基本中の基本、オーダーの大原則を外した完全なオリジナル
中期ルネサンス建築
→古典建築に敬意を払いながらも、自分たち独自の新たな建築様式を模索している途中
盛期ルネサンス建築
→オーダーの大原則である円柱をメインで用いず、古典系建築風を非常に醸し出した傑作
後期ルネサンス建築(マニエリスム)
→オーダーを分解・融解する過激な傾向が現れる
さて、難しい話ばっかりで嫌気がさしてくる頃なので、そろそろ写真を交えながら一つずつ見ていくとしよう。
初期ルネサンス

ルネサンス建築は、ある日突然完成したわけではない。
古代ローマ建築を復活させようという理想を掲げたものの、誰もその答えを知っていたわけではなかった。
建築家たちは遺跡を調査し、古代の建築技術や比例を学び、試行錯誤を繰り返しながら失われた美しさを再現しようとした。
その挑戦が始まった時代こそ、初期ルネサンスである。
捨子養育院
まず最初期のルネサンス建築は、ブルネレスキによるフィレンツェの「捨子養育院(spedale degli innocenti)」(1421~1445)とされている。
「すてごよういくいん」と読む。
名前だけ聞くと「覚える必要ある?」と思うかもしれないが、この建物にはルネサンス建築の始まりを象徴する秘密が詰まっている。
まずはこちらをご覧いただこう。

ルネサンス建築最初期の特徴として、円柱が支える半円アーチとその上に載るエンタブラチュアの組み合わせが挙げられる。
意味不明だろう、大丈夫これから説明する。
まずはこちらを見て欲しい。

これはわたしが2021年12月にギリシャの首都アテネで撮影したパルテノン神殿だ。
これこそが、ギリシャ人が究め、ローマ人が「美の根源」と称して完コピしたオーダーと呼ばれる柱-梁構造である。
この構造の肝は、柱の上に梁が載っているという極めてシンプルなものである。

重要なことなので何度で言おう。
君と俺とでは価値基準が違う。
あ、じゃなくて、柱の上に梁という構造である。
では捨子養育院の構造を見てくれ。

柱の一本を例にとってみよう。

先ほどの「美の根源」を見た後で、何か違和感はないだろうか。
・・・
・・・
・・・
気付いただろうか。
なんと、柱と梁の間にアーチが挟まれている!!!
「いや、それがどうした?」
このブログを読んでいるようなド素人はそう思うのが当然である。
これは言い過ぎた。誠に申し訳ない。
しかし建築史では、これがかなり異例なのだ。
しつこいが、もう一度だけ復習しておこう。
ギリシャ建築でもローマ建築でも、オーダーには絶対的なルールがある。
柱の上に梁、である。
これが古典建築の常識だった。

なのに初期ルネサンス建築では柱の上にアーチである。

この構成、パッと見では見事に調和されていて文句のつけようがない。
ただ、実はかなり無茶苦茶な構成になっている。
ギリシャ建築編でも紹介したが、ギリシャの哲学者ピタゴラスじーちゃんが「万物の根源は数である」と言ったようにギリシャ建築では比例を最も重視していた。
柱の底部の直径(ときに半径)を1モドゥルスとして、建物各部の寸法をその整数倍あるいは分数倍として定め、オーダー各部の寸法はすべてモドゥルスを基準に定式化され、全体が最も美しく見えるよう設計されていたのである。
さて、このように比例を軸に緻密に構成されているオーダーに勝手にアーチを挟むとどうなるか。
比例が狂う!!!
つまり、それはもはやギリシャ・ローマ時代が理想とした美の規範そのものではなくなった、ということを意味するのである。
ギリシャ建築のモドゥルスについてはこちらで解説している。
ブルネレスキ、開始早々ルールを破ってしまうの巻。
ちなみにこの建物は広場に面した下階をアーケードとし、上階を平滑な壁面とするファサード(建物正面)構成が特徴である。(まあ見たらわかるが)

ここでぇぇ、柱頭の種類を当てるクーーイズ‼
柱頭に興味のある方だけ読んでみて欲しい。
では復習だが、この柱頭(キャピタル)は何式キャピタルだろうか?

チ、チ、チ、チ・・・。
タイムアップ!!
正解は、柱頭にアカンサスの紋様があるのでコリント式である。
「アカンサスの紋様と渦巻きが両方あるからコンポジット式じゃないの!!?」と思った方、実に鋭い。
参考書には当たり前のように「コリント式」と書かれており、あくまでわたしの感覚で見分け方を紹介しておく。
コンポジット式柱頭の渦巻きはコリント式と比べてよりハッキリと水平に彫られている。

しかしコリント式柱頭はあくまでアカンサスという植物を模倣しているので、渦巻きが(あたかも稲穂が垂れるように)水平では無い。
実際どうかはわからないが、わたしはそんな考察をしながら柱頭を眺めている。
ということで、捨子養育院の構成再びである。

円柱と半円アーチによるアーケードは、古代末(ローマ建築以降)から中世初期(ロマネスク建築頃)にかけてよく用いられた形式だが、特にフィレンツェを中心としたトスカナ地方ではこの伝統が強く残り、ロマネスク建築の全期間を通じて用いられ続けた。

一般的にロマネスクやゴシック建築では円柱ではなくピアを、ゴシック建築では半円アーチではなく尖頭アーチを用いていた。
ではなぜゴシック建築よりも時代が進んだルネサンス建築で、尖頭アーチではなく半円アーチを用いているのか?時代を逆行しているぞ。
答えは単純で、つまり捨子養育院のアーケードは、この地方のロマネスク建築の伝統を受け継いでいる、ということである。
わたし的には「いや、そもそもローマ建築を模範として始まったはずやのにロマネスク建築も参考にしてるやん。そこは徹底せえよ」と思ってしまった。
ローマ建築を模範とするなら、円柱→エンタブラチュアというオーダーの大原則を外して欲しくはなかったが。
ロマネスクにもゴシックにもない革新
初期ルネサンスの代表例である捨子養育院、先ほどちょっとディスってしまったが、捨子養育院のファサード(建物正面)にはロマネスクにもゴシックにも無い革新がある。

それが、
である。

「これらはいずれもローマ建築で既に使われていた要素だ」と参考書には書かれているが、確かにその通りだ。

確かに「コリント式円柱」も「エンタブラチュア」も「枠付きの窓」も「ペディメント」も全てローマ建築のパンテオンで使われていた。
つまり、円柱の上にアーチを載せるという部分だけが初期ルネサンス建築のオリジナリティとも言える。
つまり初期ルネサンス建築家は既にローマ建築で使われていた要素を混在させてまた新たな表現を作り出したのである。
ローマ建築まぢリスペクト案件であり、さらに独自のオリジナリティを加えている。
これこそがローマ・ロマネスク・ゴシック建築にもなかった初期ルネサンス建築独自の革新である。

①半円アーチのゆったりとしたスパン、②アーチの明瞭な縁取り、③ほっそりとした円柱が作り出す軽やかなリズム感、そう言われれば急に立派に思えてきた。
今更だがエンタブラチュアとかペディメント、わからない人にちょっと説明しておこう。
簡単に説明する。
くどいが、単純接触効果で徐々に覚えていくはずだ。
エンタブラチュアとは円柱の上に載っている梁(はり)のことで、上階と下階を分けるもの。
ギリシア建築の場合、この円柱の上に載っている横に長い石の柱(梁)を指す。

ローマ建築にもエンタブラチュアは存在する。

凱旋門にもエンタブラチュアがある。

ギリシャ建築でもローマ建築でもオーダーと言えば、円柱とエンタブラチュアが必ずセットで使われていた。
そしてペディメントとは、屋根の近くにあったり、入口や窓などの開口部の上にあったりする三角形の壁面のこと。


パンテオンの神殿正面にあるドデカイ三角形、こいつがペディメントである。

窓の上にあるコイツも小規模なペディメントと言える。
では捨子養育院のファサード(建物正面)に戻る。

確かに下階には円柱の上にエンタブラチュアが走り、その上の壁面に窓がありペディメントが載っている。
しかし『円柱と円柱が支えるエンタブラチュアの一連のセット』がオーダーなので、円柱の上にアーチを架けてその上にエンタブラチュアを載せるのは厳密にはオーダーとは呼べない。

つまり初期ルネサンス建築は、古典系建築の基本中の基本「オーダー」の原則から外れているのである。
これが最初期のルネサンス建築の特徴だ。
オリジナリティを出そうとし過ぎて、大原則を破ってしまった哀れな建築様式なのである。
では中期ルネサンス建築の解説に移ろう。
中期ルネサンス

初期ルネサンスでは、古代ローマ建築を復活させようという強い意志はあったものの、古典建築のルールを十分に理解していたとは言えなかった。
(オーダーの大原則を外しているし…)
そこで建築家たちは、遺跡や古代建築をさらに研究し、その設計思想を少しずつ自分たちの建築へ取り入れていく。
しかし、まだ理想には届かない。
古典建築への憧れと試行錯誤が続いた時代、それが中期ルネサンスである。
パラッツォ・メディチ

パラッツォ・メディチ(1444~1459)ではルスティカ(粗石積み)が全面的に採用されているが、オーダーそのものはまだ使用されていない。

え、円柱は(。´・ω・)?
初期ルネサンス建築編で紹介した捨子養育院よりも古典系建築感を失っている。

初期ルネサンスより中期ルネサンスの方がより攻めたということなのだろうか。
中期ルネサンスはそもそもオーダーの大原則、円柱が一本も無いので古典系建築とは全く言えない。
オリジナリティを出そうとし過ぎて完全に空回っている。

パラッツォ・メディチの外観をもう一度見て欲しい。

確かに窓とかは結構統一的に配置されてるし、何となく調和を大事にしている感はあるが円柱がない時点で論外。
まだまだ足りない。
「ローマ建築を模範に・・・ってほんまか!!?」と思える仕上がりだ。
パラッツォ・ルチェルラーイ

パラッツォ・ルチェルラーイ(1446~1451)になると、ピラスター(←円柱ではないが)もあってエンタブラチュアもある。

窓の配置などはオーダーの原理(つまり比例調和的)に従って決められているのがわかる。
このパラッツォ・ルチェルラーイ、実はコロッセオの立面を適用している。「立面を適用している」とはどういうことかと言うと、「コロッセオの構成をそのままパクってる」ということ。
これもローマ建築編で紹介したが、コロッセオは4階建てで各階のデザイン(柱頭装飾)が違う。

そのコロッセオの各階のデザインをそのままパクっている(オマージュしている?)ということが言える。

パラッツォ・ルチェルラーイの各階の柱頭は、
であり、コロッセオの立面も半円柱とピラスターの違いはあるが、構成は同じである。
なのでパラッツォ・ルチェルラーイはローマ建築のより深い理解を示していると言える。
そこにはあるメッセージが込められている。
ローマ建築まぢリスペクトっすよ、まぢパねえ
コロッセオの立面を適用するあたり、確かにローマ建築に敬意を払っている感は伝わるが、まだ古典系建築と呼べるほどではない。
なぜならローマ建築時代に「美の根源」とされた大前提のオーダーが無いのだから。

もう嫌ってほど繰り返しになるが、オーダーの大原則はあくまで「円柱の上にエンタブラチュア」である!!

そう、これ、これである!!!
中期ルネサンス建築家は円柱の代わりにピラスターを使ってオーダー感を残そうとしたが、やっぱりオーダーとはまだ呼べないのだ!!!!
まあ今は「古典建築に敬意を払いながらも、自分たちで考え出した新たな建築様式を模索している最中」なので仕方ない面もあるのだろうが。
古典系建築の大原則である円柱を使わずに古典風を出そうとして失敗した、初期ルネサンスと同様これまた哀れな建築様式なのである。
では盛期ルネサンス建築の解説に移ろう。
盛期ルネサンス

初期ルネサンスで始まった試行錯誤、中期ルネサンスで深まった古典建築の理解。
その集大成として誕生したのが盛期ルネサンスである。
この時代には、古代ローマ建築の比例や秩序がほぼ完璧に再現され、ルネサンス建築はついに完成形へと到達した。
テンピエット(1502~1510)
ルネサンス建築の完成と目される作品に記念礼拝堂テンピエット(1502~1510)がある。
初期ルネサンスの捨子養育院完成からおよそ60年後のお話である。さすがにあの頃に現役だった建築家たちはおらず、世代交代を繰り返してここに辿り着いた。

このテンピエットは盛期ルネサンスの厳格な古典主義的性格をよく表している(らしい)。
まあ、初期・中期とずっと円柱が無かったのでやっと古典系建築の特徴でもある円柱を復活させたって感じである。
わたしもこのテンピエットに訪れ、内部を鑑賞したり写真を撮りまくったりしたのだが、なぜかあの頃の写真が全て消えてしまったという呪いのような現象が起きてしまった。
テンピエットは古代ローマのドリス式円形神殿をモチーフとしているが、ドームを架けたケラ(神室)を

エンタブラチュアの上方に大きく突出させる発想は独創的で、(ロンドンのセントポール大聖堂やパリのパンテオンなど)後の古典主義建築に大きな影響を与えた。

ロンドンのセントポール大聖堂(確かにテンピエットに似てるな)
わたしはこのセントポール大聖堂にも行ったが、入場料が高かったので外から写真を撮るだけにした。

さて、「上方に大きく突出させる発想」とはつまり、
ドームを上に高くしたのが独創的だ
ということなのである。

確かにローマ建築時代とルネサンス建築時代とでは、ドームの質が明らかに違うことがわかる。
ではテンピエットの円柱はどうなっているのだろうか。

ドリス式オーダーの表面の溝彫りが確認できないので、トスカナ式だろう。
トスカナ式もローマ建築時代に発明されたものなので、ローマ建築リスペクト案件である。
またもう一つ、盛期ルネサンスの代表作として有名なのがパラッツォ・ファルネーゼ(1530~1546)である。
パラッツォ・ファルネーゼ

ここでは、平滑な壁面に並ぶエディキュラ形の窓の彫塑的な扱いが、三層構成のファサード(建物正面)に強い古典的性格を与えている。
この著者、イチイチ難しい言葉使いよる…。
復習だが、
規則正しい配列=古典的
である。古代ギリシャの哲学者ピタゴラスが「万物の根源は数である」といったように、古典系建築の最大のテーマの一つが「規則正しい配列」なのである。
エディキュラとは「小祠」と訳され、いわゆる「祠(ほこら)」のこと。
(ローマ建築編で記述済み)

この部分をエディキュラと呼ぶ
パラッツォ・ファルネーゼ正面の、エディキュラ形の窓の規則的な配置が古典的性格を強めている。

もう少し詳しく見てみよう。

また二階部分のペディメントは三角形と弓形を交互に載せている。

特に主要階(ピアノ・ノビレ)をなす第二層は、エディキュラの円柱をペデスタルに載せ、このペデスタルと窓台のつくる水平帯の構成をコロッセオに忠実に倣うなど、古典的格式の高さを示している。
難しくてよくわからんので、もう少し噛み砕いてみよう。
つまり2階部分の、窓の両側にある円柱(エディキュラ)は台座(ペデスタル)の上に載せられ、その台座と窓台が横一直線につながっているというこの構成、実はローマのコロッセオをかなり忠実に再現したものなのである。

あえてコロッセオの立面に似せてくるあたり、「ちゃんとローマ建築を勉強してます!」という建築家から古代ローマへのラブレターのようなデザインと言ってよい。
以上で盛期ルネサンス建築の紹介を終わり、続いて後期ルネサンスを紹介していこう。
マニエリスムと後期ルネサンス

こうしてルネサンス建築は完成した。
建築家からすれば、「さて、この先はどうすればいいのだろう」という状況である。
そこで後期ルネサンスの建築家たちは、古典のルールをあえて崩し、新しい建築表現を追求し始めた。
この芸術傾向をマニエリスムという。
マニエリスムとは

初期→中期→盛期とルネサンス建築の発展の過程を見てきた。
もともとルネサンス期は文芸復興を主とした時代で、建築分野では過去のローマ建築復興を目的としていた。
しかしこうしてローマ建築の復興と古典的調和が完璧に実現されてしまうと(←テンピエットのこと)、ルネサンス建築は普遍的な目標を失ってしまったわけだ。
ルネサンス建築が完成した今。
おらたち、これからどうすればいいだべさ。
後期ルネサンス建築家はそのような状況の中で自らの独自性を示す芸術の方向を探らなければならなかった。

こうして古典的正統から離れてオーダーの新しい適用を模索し始め、(オーダーのもつ本来的意味の了解を前提としたうえで)オーダー本来の意味や文法を分解・融解してしまう過激な傾向が現れ始めた。
やること無くなったからちょっと極端な方向に走っちゃった、みたいな感じだ。
後期ルネサンスに現れたこのような傾向をマニエリスムと呼ぶ。
その一つに大オーダーの発明がある。
大オーダーの発明

ローマのカンピドリオの丘に建てられたパラッツォ・デル・セナトーレ(1592~)は三階建ての建物だが、一階をルスティカ(粗石積み)仕上げでその上に主要階(ピアノ・ノビレ)と最上階を載せている。
そもそもルスティカ仕上げとは、

日本語では「粗石積み」と訳され、石造建築で壁の表面を滑らかにせず、目地(継目)を際だたせたり、石材面を突出させたり、凹凸を目だたせて荒々しく力強い表情をもたせる技法をいう。
しかしピアノ・ノビレと最上階を分かつ水平の要素(エンタブラチュア)はなく、その代わりに二階分の高さをもつオーダー(大オーダー)が全体を統一している。

大オーダーの並びがつくる威風堂々たる外観は、ファサード(建物正面)を小割りにするこれまでのオーダーの適用法からは生まれ得なかった、全く新しい建築表現である。
何はともあれ、まずは過去のギリシャ建築とローマ建築のオーダーの適用法を見てみよう。


高さこそあれど、結局は一階分の高さのオーダーである。
それに比べて先ほどの大オーダーは、二階分の高さをカバーしたオーダーである。

違いは明白だろう。
また、この広場の両側面に配置されるパラッツォ・ディ・コンセルヴァトーリ(1564~)もカピトリーノ美術館(1644~)も、正面の建物と同様にコリント式の大オーダーによってファサード全体の輪郭が決定されている。

また大オーダーとイオニア式のオーダーの大小二種類のオーダーを一つの建物に組み合わせて用いる方法はミケランジェロの独創性から生まれたものである。
パラディアン・モチーフ
また、ちょっとわかりにくいがアーチを受けるピアの部分を二対の小円柱に置き換える新たなモチーフを、建築家パラディオにちなんでパラディアン・モチーフと呼ぶ。

確かに2対の小円柱でアーチを支えているのがわかる。

余談だが上の画像では先ほど紹介した大オーダーは使われていない。
オーダーの分解
それではマニエリスムの時代に行われたより過激な「オーダーの分解」について解説していこう。
ロレンツォ図書館
下の画像はミケランジェロのロレンツォ図書館(1521~1534)前室だが、よく見ると内部は矛盾に満ちている。

ここで言う矛盾とはつまり、「え、それなんの意味があるの?」という要素のことなのだが、わかるだろうか?

二本ずつ対になった円柱は壁の中に押し込められ、部分的に後退したエンタブラチュアを受けている。
→円柱を付ける意味がない
円柱の下に付けられた持ち送り(壁から突出した柱や床を支えるもの)には厚みが無く、支えるべき円柱は壁の中にある。
→持ち送りを付ける意味がない
円柱の間にあるエディキュラの内部は盲窓(めくらまど)となって虚ろ。
→盲窓なので窓を付ける意味がない
まあ斬新なデザインではあるが、機能的にはなにも意味のないオーダーたちである。
「美の根源」「美の規範そのもの」とされていたオーダーをおもちゃのように分解したりするあたり、かなり過激派と言ってよいだろう。
パラッツォ・デル・テ
ジュリオ・ロマーノのパラッツォ・デル・テ(1526~)も不思議な建物である。

まず、ドリス式オーダーとルスティカの壁面が完全に融合している。

中期ルネサンス編でも紹介したパラッツォ・ルチェルラーイではルスティカの面とオーダーとの区分は明瞭だった、よね?

壁に半分埋め込まれた半円柱とかはローマ建築にもあったが、パラッツォ・デル・テではルスティカ壁面に埋め込まれている。

①盲窓(めくらまど)の上のペディメントにいたっては②コーニスが消失し水平アーチの③放射状迫石の上に貼りついているだけである。

しかもそのペディメントは頂点で左右に分解されている。

しかもエンタブラチュアの石は、ペディメントの真上に落ちかかっている。

まるで土の中から現れた古代の廃墟、遠い過去の記憶の断片のような趣を漂わせた建築だと参考書には書かれている。
(ロレンツォ図書館のような)ミケランジェロの作品は、深い精神性からくるきわめて高度な芸術表現を持つが、あまりに深刻で衝撃力が強すぎたためか、後にこれに倣う作品は現れなかった。
一方ルスティカを多用するジュリオ・ロマーノの作品(これ↑)は機知に富んでいて受け入れられやすく、後の建築に大きな影響を与えた。
では最後にルネサンス建築の屋根と天井について解説しよう。
ドーム形の天井と屋根

古代ローマ建築を復活させようとしたルネサンス建築家たち。
その中でも彼らが特に魅了されたのが、ローマ建築を象徴する巨大なドームだった。
まるで「とりあえずドームを載せておけば美しい」と言わんばかりに、教会や礼拝堂には次々と壮大なドームが造られていった。
もちろん、単なる流行ではない。
そこには古代ローマへの敬意と、それを超える建築を生み出そうとする建築家たちの挑戦が込められているのだった。
ドームと屋根の違い
ルネサンス期の大きな特徴の一つにドーム形の屋根が挙げられる。
「え?(゜.゜)」と思った方、そうなのだ。
ルネサンス建築までは、ドームは天井として用いられてきたが、ルネサンス建築ではドームを屋根として用いたのである。
例えばローマ建築の粋を集めたパンテオン

これは屋根自体にはあまり力を注いでいない。

中からの表現が主だったのである(確かにすごい)
そもそもギリシャ建築もローマ建築も基本的に屋根がなかった。

しかしルネサンス期に入ると外からの視点に注目してデザインをし始めた。

屋根の表現が初めて現れたのが、1436年に完成したルネサンス建築のサンタ・マリア・デル・フィオーレだった。
このドームは紡錘形の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる外観で、これ以降ドームは「天井」の表現としてだけでなく、上空にそびえる「屋根」の表現としてヨーロッパ各地に建てられるようになっていく。

わたしもフィレンツェを訪問しこのクーポラ(ドーム)を見たが、めちゃくちゃカッコ良かった。
ルネサンス教会堂のファサード
ルネサンス建築編に入ってからずっと述べている通り、ルネサンス建築では内部の構造より外部のファサードを重視してきた。
つまりルネサンス建築およびこれ以降の古典系建築では、教会堂のファサード(建物正面)にいかにオーダーを適用するかが大きなテーマだった。

例えばこちらのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂(1448~)では、S字曲線をもつ斜めの壁で凸形の上部と下部を結合している。
わたしはこのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂にも行ったが、なぜかフィレンツェ及びローマの写真がごっそりと消えてしまい、記録としては何も残っていない(泣)

この方法は、凸形のファサードの上段と下段にそれぞれオーダーを適用したとき、上下に分離しがちなファサードを一体化する非常に有効な方法でした。
と参考書には書かれているが、わたし的には「そんなにスムーズに繋がってないが?」と思ってしまう。
まあとにかく、上下に分離しがちなファサードを一体化できたため、ローマのイル・ジェズ聖堂を通じてヨーロッパ中に広まったらしい。
その他にもマントヴァのサンタンドレア聖堂(1472~)、

ヴェネツィアのイル・レデントーレ聖堂(1577~)、

マントヴァのサン・セバスティアーノ聖堂(1459~)、

などがある。
こんな記事を書いてて申し訳ないのだが、この「上階と下階をスムーズに一体化している」に関してわたしはあまり理解していない。
あまりスムーズじゃないし…。
この方法は、凸形のファサードの上段と下段にそれぞれオーダーを適用したとき、上下に分離しがちなファサードを一体化する非常に有効な方法でした。(←再び)
ふーむ、まだ意味が分からん。
読者の方で意味わかる人おられたら是非教えて頂きたい。
ということでルネサンス建築はこれで終わりにする。
おわりに
本記事では、ルネサンス建築の特徴や歴史、代表的な建築を紹介してきた。
「古代ギリシア・ローマ建築の復興」と聞くと、昔の建築をそのまま再現した様式を想像していた。しかし実際は、古典建築の比例や秩序を受け継ぎながらも、新しい技術や思想を取り入れた、まったく新しい建築様式だった。
正直なところ、思っていたほど「古典感」は強くなかった。
それでも知識を身につけてから建物を見ると、「あ、ここは古代ローマを意識しているのか」「このドームはあの建築の影響か」と気づける場面が増え、旅が何倍も面白くなるはずである。
次にヨーロッパを訪れるときは、ルネサンス建築を前にして「ほう、ピラスターを使っているな」などと、にわか建築ファンらしく知ったかぶりをして頂きたい。周囲から「急にどうした?」という視線を浴びるところまでがルネサンスである、知らんけど。
さて、次回はいよいよ、豪華絢爛で「ヨーロッパっぽい!」と多くの人が飛びつくバロック建築を紹介する。
ルネサンス建築からどのように進化したのか、その違いにも注目していきたい。


